今週のお題「人生最大の危機」
私にとって、最大の危機「だった」のは大学院受験です。
「だった」と過去形にしたのは社会人となった今としてはそんな危機ではなかった。むしろ、いい経験だったと思っているからです。はてなブログのお題を機に当時の出来事を振り返ろうかなと思います。
(今までの記事よりも文が長いです)
- 今週のお題「人生最大の危機」
- まず、前提から…
- 研究室訪問にビビる
- 大学院の前期試験は全敗だった
- 私以外は夏までに進路が決まっていた
- 再び、研究室訪問
- 全てが終わった後に進学先が決まった
- 大学院試験は精神的に鍛えられた時期だった
- 余談:大学院の面接で合否は大体決まっているらしい
まず、前提から…
私は大学の学部にいたことがありません。高専専攻科というところに在籍していました。高専専攻科って何?という方もいると思うので簡単に説明すると大学の3年、4年相当です。
高専は中学卒業から5年間、つまり「高校+短期大学分」の期間在籍するのですが、高専専攻科に進学することで7年間、つまり「高校+大学分」の在籍になります。高専専攻科に進学することで大学生相当になるのです。
また、条件は大学より厳しくなりますが、学士も取れるので他大学の大学院への進学も可能です。(高専は大学院相当はないです)私も高専での勉強を通じて、ある分野に興味を持ち、更なる勉強と研究をしたいと思った1人として大学院進学を目指していました。
が、進学するまでにとんでもなく追い込まれました。
研究室訪問にビビる
進学できたとしても修士論文を書く環境がなければ大学院を修了することが出来ません。ということで入りたい大学の研究室に連絡し、訪問するところから始めました。
大学で准教授、教授と呼ばれている方に対して外部の学生が連絡し訪問する。ということでビクビクしながらメールしていました(笑)しかも学校指定のメールアドレスはなかったのでGmailでやりとりしていました。
今でもそのメールは残っています。当時のメールを見ると会社では普通にやりとりしているレベルのメール。ですが、当時は仕事としてメール・電話をしたことがなかったため1つのメールに1時間もかかってしまいました。
ビビっていたとしても、時間かかりすぎです…
何とか訪問日程の調整が終わった後も交通手段、宿泊の予約が必要になります。これも社会人となった今は何も問題ないのですが、ビクビクしていましたね。
そして、私は北海道の高専に在籍していたのですが、進学したい大学は本州。しかも複数の大学へ訪問したので費用はとんでもなくかかってしまいました。無理なお願いにも文句を言わず協力してくれた両親に対しては本当感謝しかないです。
大学院の前期試験は全敗だった
入念な準備(のつもり)の上で挑んだ院試ですが…前期試験は全滅してしまいました。2つ受けて2つともダメでした。せっかく多くの方の協力のもと、大学に訪問し進学後の研究内容を決めたとしても全てなかったことになりました。落ちてしまったものは仕方ないと思いつつも就職活動も一切していない。これからどうなるのか…不安でしょうがなかったです。
私以外は夏までに進路が決まっていた
一方、私以外の同級生は8月時点で就職希望、進学希望全員が決まっていました。
(これは高専だからなのかもしれませんが…)
となってくるとその開放感からか私の選択そのものを責める人もいました。よく言われていたのは「大学院進学なんてお前、自分が優秀だと思ってたのか?」ですね。シンプルに「カス」なんて言ってくる人もいました。
ただ、挑戦したい気持ち、やってみたい研究があって大学院進学を選んだだけなのに、なんでここまで言われなきゃいけないんだ!と怒鳴りたくなる気持ちはあったのですが、怒ったところで現実は変わりません。見てろよ。絶対に進学してやる。と堪えていた期間でした。
再び、研究室訪問
結局、就職活動に変えることはなく、大学院後期試験の合格に向けて、再び準備を進めていきました。流石に前期試験の経験があったので、かつてビクビクしていた日程調整や宿泊手配はスムーズに進められましたが、別の問題がありました。
それは在学している高専自体を卒業するためのアクションです。
ちょうど卒業論文提出が重なる時期でした。もっと言うと高専は大学ではないので、「学位授与機構」という学士を認定する機関に対しても論文を提出する必要もあります。要は高専に提出する論文と学位授与機構に提出する論文の2種類を書かなければいけないと言うことです。
更に学位授与機構は論文を出すだけではなく、本当に君がやった論文なんだよね?という確認のための小論文試験も控えています。その勉強も並行で行っていました。
卒業のためには必須だとしてもやるべきことがとにかく多かったですね。 紙に「やるべきリスト」書きつつ、最優先でやるべきことは何だろう?を常に考えていた時期でした。
全てが終わった後に進学先が決まった
結局、進学先が決まったのは卒業直前の3月中旬でした。この時期は学位授与機構の申請が通りしかも、卒業研究発表も終了していた時。滑り込みセーフの形で進学が決まりました。
お世話になった、担任の先生や指導教員とも思いっきり握手をしましたね(笑)そして、売店のお姉さんや高専の学務課にまでおめでとうの言葉をいただきました。
これまでの高専専攻科の学生は夏までに進路が決まるのが普通だったので、私のように卒業ギリギリは珍しかったみたいです。私は変な意味で有名人でした(笑)。今では笑い話としてネタにしています。
大学院試験は精神的に鍛えられた時期だった
その後の大学院での生活ですが、高専の時期がよっぽど大変だったのか、比較的楽に修了することが出来、修士(工学)を取得することが出来ました。
修了時に面白かったのは高専専攻科の同期の進学組で修士課程を2年で修了できたのが私1人だったということですね。私以外は論文が通らずに留年したり、単位取得退学(つまり実質学部卒)として就職していました。
高専専攻科時代は追い込まれて大変な立場でしたが、精神的に鍛えられた期間でもありました。高専というのはあくまでキャリアの一部である。大学院でも色んなことがあることを実感した時期でした。
余談:大学院の面接で合否は大体決まっているらしい
これは後から高専時代の恩師に聞いたのですが、実は面接の段階で大学院試験の結果はほぼほぼ決まっているそうです。
大学院の教員面接では決められた質問があり、 合格の場合は「学費は誰が払うのか?」不合格の場合は「院試に落ちたらどうするのか?」を聞かれるそうです。
あくまで噂レベルに過ぎないのですが、私が受けた大学の大学院は全て当てはまっていました。お題とは別ですし、あてになるのかはわかりませんが…参考までに。
そして最後に…これから進学試験を控えている方、
大変なこともあると思いますが、頑張って下さい!
全ては自分の経験に繋がります!