元派遣社員が臨床工学技士国家試験に合格し、4月から総合病院で働くことになりました。

先日、臨床工学技士養成校の卒業式に参加しました。

また、ご縁があり4月から総合病院の臨床工学技士として入職することになりました。

 

振り返ると、技術派遣社員を退職してからの学生生活は本当にあっという間でした。時間にも余裕が出来たので、入学を決意したきっかけから今後の予定までをダラダラと書いてみようと思います。

 

技術派遣で頑張ろうと思っていた時の話

臨床工学技士養成校に進学する前はとある技術派遣会社に正社員として入社しており、客先であるメーカーに常駐していました。

「正社員入社」と書きましたが、入社した会社自体ではほとんど働いていません。在籍していた時の9割はメーカーの派遣社員として働いていました。

また、中堅社員になったときには自社でサブリーダーに昇格し、派遣先の仕事に加え技術派遣会社の社員としての仕事も帰宅後に平行して行っていました。

 

今思うと就業環境的には結構キツイ所でした。

派遣先では配属初日の教育、事務的な教育は一切ありませんでした。何とか仕事を出来るようにしたいと派遣先の上司に相談しても、「わからないからお前にやらせている」と怒鳴られるだけ。1日辺りの質問回数も制限されていました。

 

自社の技術職のチームリーダーからは昇格の際「こき使ってやる」と宣言され、色んな業務が下りてくることになりました。派遣社員がやりがいを持つための方法を考えろ。親睦を深めるためのイベントを企画しろ。ボランティア活動の取りまとめをしろ。仕事以外のことも、色々と業務命令が来て大変でした。

 

そうなると当然ですが、所定時間ではどうしても終わらせることは出来ません。サービス残業も当たり前。派遣先の仕事と派遣会社の仕事を合計すると毎月の残業は100時間を超えていました。

 

毎日大変でしたが他の環境を知らなかったのもあり、当時「働くとはこういうもの」と考えていました。将来的に私がどうしていきたいのかも全く考えておらず、ただ漠然と技術派遣社員の仕事を頑張って自社の役職者を目指すという思いで仕事をしていました。

 

派遣先と自社からの人格否定

その考えが大きく変わったきっかけは派遣先からのクレーム解約です。

当時の指揮命令者から簡単な仕事ができない、仕事が遅い、ミスが多い、指摘しても改善の見込みなし…。要は社会人失格であると判断され、私の派遣契約が途中で打ち切られる事になりました。打ち切りはショックでしたが、長時間労働がなくなるので、少しだけ安心をしたことを覚えています。

 

契約終了後は自社の研修施設に行くことになり、クレーム内容に対して改善対応をすることになりました。

改善対応でまず行ったのは自社の内勤社員との面談です。面談ではキャリアプラン担当者と技術講師が参加していました。面談内容はクレーム内容の事実確認…ということで2人に今まであった事を正直に話しましたが、一切相手にしてもらえませんでした。

 

例を挙げると「教育が全くなく、派遣先の社員に相談しても怒鳴られるだけだった⇒それはお前のヒアリング能力とコミュニケーション能力が低いからだ」といった感じです。派遣契約が打ち切りとなったのは全部私自身が悪いという結論になるまで徹底した人格否定が続きました。

 

それだけではなく、派遣会社の技術職のリーダーからも「仕事が出来ない理由」という名目で嫌がらせを受けるようになりました。

特に辛かったのは懇親会でのお酌や大皿料理の配膳を私1人で1つも見逃さずに進めなければいけなかった事です。お酌することや配膳すること自体に抵抗はありませんが、私だけが全てやらなければいけなかったのが大変でした。

どのタイミングで行えばいいのかがわからず、見逃すことも多く、その度に怒鳴られていました。

 

こうした生活がしばらく続き、4ヶ月くらいは何とか会社の信頼を取り戻せるように頑張ろうと我慢できましたが、新年会の時にかつて関わってきた後輩や会社とは関係のない客が大勢いる中で連続して怒鳴られた時に心が折れました。

今でもその時にチームリーダー2人から言われた「お前何も知らないんだな!」「成長しねーな!」という言葉が忘れられません。

 

新年会が終わり帰宅した時にも、何が悪いのかがわからない…どう改善していけばいいんだ…といろんな事を考えるようになってしまい、恐怖心で頭の中がグルグルとした状態になりました。

 

派遣業務に復帰しても続く恐怖心で退職を決意

その数日後、再度同じ派遣先の別部署に復帰することが出来ました。

幸いな事にその派遣先自体は以前とは違い、仕事をする上でのコミュニケーションが取れる所だったのですが、派遣配属されて1週間、1ヶ月と時間が経っても、技術派遣会社の新年会で人格否定された時の恐怖心や頭がグルグルとした状態はなくなりませんでした。

基本給も1万円以上下がり、サブリーダーからも離れることになった。今後元に戻る見込みはない。この時、技術派遣社員で働き続けることに身の危険性を感じ、会社を辞める事を決意しました。

 

辞めようと思った時に派遣先の残業がなくなったこともあり、どうしたいのかを考えた時にふと思い出したのが大学生の時から興味のあった臨床工学技士でした。

年齢は重ねていて不利だけど、このまま技術派遣として働いても私に先はない。厳しいのを覚悟で当時からやりたかったものに挑戦しよう…。

 

前向きな思い、後ろ向きな思いの両方がある中で臨床工学技士養成校に進学することを決めました。学校選びでは色々パンフレットを見たり、オープンキャンパスにも参加しましたが、結局家から近い養成校を選びました。

 

臨床工学技士養成校の生活

私の入った養成校は再進学者が多めの所でした。私同様社会人経験を経て入学した人、別の大学に行ってたけどついていけず中退した人、大学卒業からそのまま進学した人もいました。

年齢差は結構ありましたが同じ思いを持っている人もいたため、問題なく馴染むことが出来ました。当然辛いこともありましたが、その分楽しい事が多かったです。

 

学業ではかなり苦戦しました。会社で要求されていたことをこなすだけの日々を続けていたせいなのか、大学生の時に比べて記憶するという事が全くできなくなっていました。

覚えたとしてもすぐに忘れてしまう。先生の質問には全然答えられない。

結果、最初の定期試験では赤点を取ってしまいました。入学して即留年決定になる可能性もありましたが、これも再進学した同級生に助けてもらい、何とか乗り越えていきました。

最終的に再試験は一度もすることなく卒業することが出来ましたが、学生としての感覚を取り戻すのがとても大変でした。

 

臨床工学技士養成校再進学者の就職活動

技術派遣時代から覚悟していましたが、就職活動もかなりしんどかったです。

20代前半の同級生(特に女性)は早くに内定を貰っていましたが、私はこの記事を書いている1週間くらい前まで就職先が決まっておらず、担任の先生も焦っていました。

 

ネックとなるのはやはり年齢が高いにも関わらず派遣社員としての職歴しかないことです。求人の段階で受けることが出来ない病院も多くありました。

何とか病院見学が出来たとしても、見学の終わりに技士長から「僕はここに来る前は複数の病院で技士として働いててね、最初は〇〇病院(〇〇クリニック)だったんだよ」と言われ、選考に進む前から遠回しにお祈りされる事もありました。

選考に進めた病院もありましたが、元々口下手で滅茶苦茶な答えをしてしまって人事の人から苦笑いされてしまったり…まぁこれは私の準備不足です。

 

そんな中、年を重ねていても新卒として取っていただける所を見つけることが出来、最終的には二次救急の総合病院の臨床工学技士として内定を頂くことが出来ました。養成校の就職説明会の時に就職担当の先生から就職活動は最後には運だよと言われましたが、本当にその通りだと思います。

 

臨床工学技士養成校の学生としての生活を終えて

最終的に臨床工学技士養成校に進学できたのはよかったです。

ただ、医療系専門学校ということもあり、単位は1つも落とせません。覚悟を持って進学することが大事だと思います。(最初のテストで赤点を取った人が書いても全然説得力がないような気もしますが…)

実際私が入った臨床工学科では最終的に7人が辞めました。勉強の出来る同級生や先生方を頼るのも大事だと思います。

 

卒業後の予定

繰り返しになりますが、二次救急の総合病院で臨床工学技士として新卒入職することになりました。最初は透析室業務になると聞いています。

 

養成校の先生からは「今まではわからない事があっても片目をつぶってもらうことがあったと思うけど、現場ではそんなことは許されない。基礎を疎かにしないことを肝に銘じて頑張れ」という言葉をいただきました。

 

まだまだ、年を重ねただけで何も出来ないので不安も多いですが、新人臨床工学技士として、また一から頑張ります。